1996-03-01 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第4号
同資料館は、創設時に高松宮殿下を総裁としたハンセン病救護事業団体、藤楓協会の創立四十周年の平成五年六月二十五日に同敷地内に開設され、多磨全生園入所者等のボランティアによって運営されているものであります。 同資料館の平沢保治運営委員の説明に基づき、その概略を御報告いたします。
同資料館は、創設時に高松宮殿下を総裁としたハンセン病救護事業団体、藤楓協会の創立四十周年の平成五年六月二十五日に同敷地内に開設され、多磨全生園入所者等のボランティアによって運営されているものであります。 同資料館の平沢保治運営委員の説明に基づき、その概略を御報告いたします。
○説明員(宮尾盤君) 高松宮殿下は昭和五年二月に御結婚をされたわけでございますが 当然殿邸を御用意をする必要があるために、昭和三年の九月に当時皇室が管理をいたしておりました高輪の御料地の一部を殿下が殿邸用地として拝借をいたしまして、その拝借地に殿下御自身の費用で殿邸を建築されて昭和六年十二月からそこに御入居されまして、以来ずっとそこでお住まいになっておったわけでございます。
高松宮殿下は、藤楓協会の総裁であり、恩賜財団済生会の総裁。高松宮妃殿下は、高松宮妃癌研究基金名誉総裁。あるいは三笠宮の妃殿下は恩賜財団母子愛育会の総裁である。寛仁親王は友愛十字会の総裁といったようなことでもっていろいろの各種の福祉関係の団体の総裁あるいは名誉総裁を引き受けられまして、熱心にそういったような活動をなさっていると伺っております。
その次の順位、要するに第四順位ということになれば、今度はいまの陛下の男の皇次子、いわゆる常陸宮様ということになりまして、その常陸宮様には子供さんいらっしゃいませんから、その次の順位になれば、もう一つ代さかのぼりまして、現在で言えば高松宮殿下、その次は三笠宮殿下、それからその高松宮殿下のお子様はいらっしゃいませんから、三笠宮殿下にいって、三笠宮殿下には男のお子様は三人いらっしゃいます。
まず、宮内庁長官はこの行事、事実を知っているのかどうか、それから、高松宮殿下の出席を考えているのかどうか。私は、皇族が政治色というか宗教色というか、そういう行事に参加することは憲法違反である、こういうふうに考えておるわけでございますが、その点について見解をただしたい、このように思います。
いまの高松宮殿下のことにつきましては、宮内庁で十分所管として取り扱ってくれということで、公取としてはそのことは警告に入れておりません。私の方も宮家の方に再々その情勢は申し上げておるところであります。
○説明員(宇佐美毅君) この皇族殿邸の問題は大分前から、池田内閣のときから皇室経済会議でも問題になりまして、余りおひどいんではないかという発言がありましたりしていろいろ検討されましたが、なかなか結論を得ていなかったのでございますが、まず最初に三笠宮殿下、それから秩父宮殿下、それから高松宮殿下と、三宮家につきましては国会の御審議を経ましてすでに完成をいたしているところでございます。
ただいま御指摘になりましたとおり、最近ずっと新宮殿ができました後の問題といたしましては、先ほど申しましたとおりに、池田内閣当時に問題になりました各宮家がひど過ぎるという御議論でございましたが、ようやくそれが最近になりまして、三笠、秩父、高松宮殿下の公邸、皇室用財産として完成をいたしております。残るのは常陸宮殿下でございます。
それから名誉顧問は高松宮殿下、高松宮妃殿下、顧問が岸信介、永野重雄、植村甲午郎、木川田一隆というりっぱな方が並んでおられます。ただ、ここでお尋ねしたいのは高松宮殿下御夫妻の問題です。こういったものの最高顧問に正式に御就任をされたのですか。
最初から高松宮殿下が総裁になられまして、非常に御熱心な指導、激励を賜わりまして、政府はもちろんでありまするが、財界方面からも非常な協力、援助を得ましてよいスタートをしたのであります。
たいへん御無礼なことを申し上げて恐縮でございますけれども、そういうふうに私、考えましたので、その点、高松宮殿下並びに秩父宮殿下の殿邸を御新築なさるに対して、金の足らぬようなことをしてもらっては困る、こういうことを申し上げたわけでございます。 次にお尋ねしたいのは、去年の秋に、九月十何日でしたか、それから十月にかけて、天皇、皇后両陛下がイギリスを御訪問なさった。
四十七年度の予算の中に、四十六年度に引き続き、皇族の殿邸と申しますか、お屋敷の施設費が三億六千二十八万、こう計上されておりますが、高松宮殿下、秩父宮さまの殿邸に対する経費、その四十六年度並びに四十七年の予算の内容についてお尋ねしたいということと、また完成はいつになっておりますか、その時期について。
○鬼木委員 高松宮殿下の殿邸は四十四年度と四十五年度で完成しているようでございますが、一億七千万程度であった。概算そのようでございますが、相当経済ベースも上昇しておりますし、単価も上がっておりますが、これで高松宮邸と秩父宮邸が四十六年度、四十七年度に十分に完成できる予算が計上してあるのでございますか。
しかし実際問題といたしまして、いま皇族さまのうち特に秩父妃殿下とか高松宮殿下あたりはしょっちゅうお出かけになっております。三笠宮殿下はお出かけはそれほど多くありませんが、一面都内で大学の講師なんかに行っておられる関係が別にございまして、そうおひまでなく、皆さん相当活動されておると思います。
事件といたしましては、三月二十五日から高松宮殿下が山形県に御来県になるということで、そのお泊りになる湯野浜温泉の亀屋ホテル、肘折温泉の村井旅館、油田市の菊水ホテル、この三カ所が宿泊予定でございますので、その旅館の従業員の赤痢菌の保菌検索を行なった際に起きた事件でございます。そのうち亀屋ホテルで起きた事件が新聞に報道されておる事件であります。
また公衆衛生上、そういう処置を公衆衛生法に基づいてやるということの適否については、これはしなければならぬ場合にはしなければならぬと思いますが、問題は、先ほど公衆衛生局長も言われたように、高松宮殿下がおいでになるということの理由でこういうことをしたということになれば、これはまた一つの問題であります。
「この日記は高松宮殿下に御報告するために私が集めた政治上の情報の覚書である。私は、高松宮殿下の御発意により近衛公や高木海軍少将の推薦によって各方面の意見を殿下にお取り次ぐ任務をお引き受けしたのであります。」その日記の中の二百九十九ページ、九月四日というところに、これはあなたが軍需大臣をしておられるころです。「岸は」——そう書いてあるのですから、失礼ですがその通り読みます。
これについて私が希望を申上げたいと考えまするのは、折角高松宮殿下がこれらの土地を福島県に払下げられて、観光厚生施設に善用するようにという思召しでありまするが、この土地買上の明治四十年の御買上のときのいきさつを我々が考えて見まするときに、土地の地主の諸君は、土地が必要になつた場合は、御別邸廃止の際には、元の地主に返して頂けるものだということを固く信じておられて、大正十四年に高松宮殿下の御成年の記念として
○上條愛一君 宇佐美さんにお伺いいたしたいと思うのですが、今お話になりました高松宮殿下の福島県に御下賜後における処置については、例えば、まあ地元民といたしましては、有栖川宮殿下のお買上げのときの申合せとして、不要になつた場合には、或いは御別邸が廃止等の場合には元地主に返還するというようなこともあつたようでありまするが、今おつしやつた高松宮殿下のお話の中には、そういう土地をやはり観光厚生施設以外に、必要
○鈴木(義)委員 そこで前回も大正十四年に有栖川宮様から高松宮殿下にお譲りになられまして、そうして十四年に高松宮殿下が御成年になつたというので、その祝意を表するためにこの山林の一部を解放されまして、福島県に下賜されたということも歴史的な事実になつております。八十町歩を下賜された。
大正二年に高松宮殿下に贈進されることに決定いたしまして、当分の間当時の帝室林野局が管理することとなつたのでございますが、更に大正十年十一月には二百十四坪の和式の新郎と附属家屋が新築されたのでございます。高松宮殿下が成年に達せられます大正十四年には、これらの御用地の整理がございまして、百九十八町歩余りを福島県に賜與されて、その後は高松宮家で管理をされるようになつたのでございます。
○宇佐美政府委員 このたび御下賜になります翁島村、月形村、福良村の三地域は、沿革的に申し上げますと、明治四十年の十二月に有栖川宮殿下が、当時総面積二百六十三町歩余りの民有地を買い上げられまして、翌四十一年八月に四百四十五坪の洋式の御別邸と付属家屋を新築され、事務所を置きまして、管理されたのでございますが、大正二年に、これを高松宮殿下に贈進されることに決定いたしまして、当分の間当時の帝室林野局が管理することとなつたのでございます
ここにおきまして、これら三千五十の私設社會事業團體の窮状を打開し、私設社會事業家として、專心して本來の使命遂行にあたることを得しめ、もつて社會公共の福祉を増進し、民生の安定を期すべく、過般來社會各方面の同憂の者相はかり、社會事業共同募金、コムミユニテイ・チエスト運動を取上げ、これを近く全國的に毎年一囘繼續して實施せんとして、すでに中央においては、本協會内に社會事業共同募金中央委員會を設け、總裁に高松宮殿下
○來馬琢道君 過日十月一日から三日間開かれた全國社会事業大会に、司法部というものが第三部に入つておつて、畏くも天皇陛下、皇后陛下の御親臨を仰いで、高松宮殿下が総裁として非常に雄大なる規模で開かれました。私共も司法保護の方から、協議員としてそこに參加を許されました。